2022年4月の参道掲示板

参道掲示板に四月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

四月のことば 「タンポポ 踏まれても 花を 咲かせる」

 コロナ渦での3度目の春を迎えますね。この数年で社会全体の価値観や、これまでの生活スタイルが大きく変化しましたね。こういう、社会全体の変革期をパラダイムシフトというそうです。

このパラダイムシフトの時期に、新しく社会に出る若い方々には、色々な困難があろうかと思います。私の若い頃も、就職氷河期なんて言われて、それなりに大変な時期でした。しかし、今の方が、変化のスピードも速いし、何よりも前例がないという点で、本当に適応するのが大変な時代だなと感じております。

 若いうちは特に、頭を打つことも多いと思います。また、自分のプライドを踏みにじられるような悔しい経験もすると思います。でも、卑屈になることも、ふてくされることもないと思いますよ。自分らしく、コツコツと続けていれば、きっと結果は出ると思います。大成功と言われるような大きな結果だけが、結果ではないはずです。

野の花々はどうですか?自分を、花屋で売られている高価な大輪の花と比べて、卑屈に咲いてますか?自分らしく、かつ誇らしげに咲く野の花々に、私は強さと美しさを感じます。

納骨供養祭 中止の連絡

毎年、春の彼岸に実施させて頂いております、納骨供養祭(既に納骨されている方々の法要)ですが、本年も昨年同様、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う自粛により、中止とさせて頂きます。ご理解の程、よろしくお願いします。

個別での供養、新規納骨、その他法要に関しましては、感染対策(マスク、消毒、空気清浄機設置等)を徹底の上、随時受け付けておりますので、よろしくお願いします。

来年以降は、例年通り春の彼岸に納骨供養祭を実施させて頂く予定ですので、その節は、どうぞご参拝ください。

2022年3月の参道掲示板

参道掲示板に三月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

三月のことば 「つまずいた 石は 踏台にもなる」

 早いもので、もう三月ですね。先日まで冬季オリンピックを観ていたと思えば、もう春ですね。

 ところで、今日はそのオリンピックで、印象に残る言葉があったので、紹介したいと思います。カーリング女子のメンバー吉田知那美選手の言葉です。カーリング女子は、予選4位通過、つまりギリギリで準決勝に進めたのですが、その際、吉田選手は「4位上がりの私たちの最大のアドバンテージは、他の3チームよりもたくさんのミス、たくさんの劣勢を経験できたことだった」とおっしゃりました。

 人は失敗したり、窮地に陥るとどうしても、弱音を言ったり、言い訳したり、捨て鉢になったりしてしまいますよね。でも、そういう経験をステップアップへの踏台と考えることができる心の豊かさ、是非見習いたいものです。

 失敗しない人間はいません。人は人生の中で、必ず何かにつまずきます。その時に、そのつまずきを次に生かせる心の余裕をもっていたいですね。

2022年2月の参道掲示板

参道掲示板に二月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

二月のことば 「まわり道 したから 見れた 花もある」

 最近ふと思ったのですが、平均寿命から考えると今の私の年齢が丁度、人生折り返しなんですね。今までの自分の人生は、住職という今の立場から考えると、それなりに「まわり道」してきたのかなと思います。

まわり道せずに、一本道で住職を目指すなら、大学の仏教系学部に入学し、卒業後そのまま本山で修行というコースになります。しかし、私は次男坊ということもあり、大学では経済学部で、卒業後はサラリーマンを10年近く経験しました。そういう意味では、住職としては、まわり道が長かったと思います。

 最近の若者はよく、「コスパ」という言葉を使いますね。コストパフォーマンス、つまりは、費用対効果のことであり、より少ない労力・コストで最大限の効果を得ることですね。人生に例えるならば、自分の目標に最短距離で到達する、そういう生き方でしょうか。それはそれで、無駄のない生き方で、潔いと思いますが、全員がそういう生き方をできるわけではありませんよね。

 今はコロナ禍で、例えば、学校の授業がオンラインになったり、学校行事が削減されたりしていると思います。テレビのコメンテーターのなかには、「オンライン授業の方が効率がよい」とか「これを機に、無駄な学校行事を減らすべき…」とおっしゃる方もいますが、本当にそうでしょうか?確かに、受験に合格するという目標に対しては、わざわざ学校に通学して、友達と喧嘩したり、恋愛したり失恋したりという行為は、「まわり道」以外の何物でもないでしょうね。でも、10年後、20年後に記憶に鮮明に残っているのは、意外に「まわり道」したことばかりかもしれませんよ。

 私は個人的には、コスパの良い人生よりも、「まわり道」の多い人生をお勧めします。住職とサラリーマン、全く違う職種のようですが、意外とサラリーマン時代の経験に助けられることも多いのですよ。人生、「まわり道」に助けられることもしばしばかもしれません。また、「まわり道」をすると、思いがけない拾い物をするかもしれませんよ。私の場合、サラリーマン時代に会社の同僚と結婚し…(奥様を拾い物呼ばわりしてはいけません)。

 「まわり道」だろうが「寄り道」だろうが、色々経験すると、人生どこでその経験が役に立つかわかりません。だから、「まわり道した。損した。」と思わず、「まわり道したけど、きれいな花が見れたから、まあ、いいか」くらいの気持ちでいた方が楽ですよ。

2022年1月の参道掲示板

参道掲示板に一月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

一月のことば 「益(やく)年 厄年 躍(やく)年 自分の心が 決める」

 新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。また、本年も月一回の更新を目標に参道掲示板を作成しますので、どうぞご覧下さい。

 新年早々、私事で恐縮ですが、私は今年42歳の厄年を迎えます。「厄」という字を見ると、何か良くないことが起こりそうで怖いですが、私は厄年とは一つの「戒め」だと思っております。

 2年くらい前から毎年、健康診断を受けているのですが、やはり40歳を超えると何かしら要チェックの項目が出てきますね。男42歳というのは、「そろそろ健康面も気をつけなさいよ」というサインなのかもしれませんね。また、仕事面でも、サラリーマン時代の同期などは、そろそろ管理職に向けて大事な時期にさしかかっているようです。色々な面で、厄年の年齢というのは、「油断するなよ」「しっかりしなさいよ」という戒めの意味が込められていると思います。

 厄年を「自分への戒め」と考え、「ここが正念場」という気持ちで過ごすことにより、今後益々と広がる「益(やく)年」にもなるでしょうし、さらなる飛躍へとつながる「躍(やく)年」にもなりうるかもしれませんね。

自分の気持ち次第で、厄年を益(やく)年にも躍(やく)年にも変えられる可能性がありそうですね。

皆さんにとっても、私にとっても、新しい年が、益(やく)年・躍(やく)年であるように、戒めるべきところは戒め、ポジティブな気持ちで過ごしていきたいですね。

 

2021年12月の参道掲示板

参道掲示板に十二月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

十二月のことば 「やすらぎは 全力を つくした後に やってくる」

 早いもので、今年も残すところあと一か月となりました。何かと忙しない時期ですね。皆さんは、今年のうちにやっておきたいこと、または、やり残したことはありますか?私は、色々と…。

 年内にやっておきたいことの定番は、やはり、大掃除、整理整頓ですかね。ところで、どうして大掃除は年末にするのでしょうね。何も、年末のバタバタする時期じゃなくても…と思いますが。一つには、新しい年をきれいな環境でということもあるでしょう。もう一つは、気持ちの問題だと思います。

達成感とよくいいますが、何かを全力で成し遂げた後は本当に、気持ちが清々しいですよね。掃除に限らず、今の自分にできることを、全力で取り組んでみませんか?大そうなことでなく、身近なことからでもいいと思いますよ。例えば、ダイエットとか、一日何歩歩くとか…。

新しい年を安らかな気持ちで迎えるために、年末のこの時期は、何かに全力で取り組みたいものですね。

2021年11月の参道掲示板

参道掲示板に十一月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

十一月のことば 「朝 目を覚ます それは ありがたいこと」

 少しづつ、朝夕が冷え込むようになってきましたね。そろそろ、朝布団から出るのが億劫になる季節ですね。

ところで、皆さんは、朝目を覚ました時、最初に何を思いますか?「もう朝か」「よく寝たな」「もう少しだけ布団に…」などなど、それぞれに思うことがあろうかと思いますが、「今日も目を覚ますことができた」と思った朝はありますか?幸いなことに、私はそう思ったことはありませんが、よく考えてみると、朝目を覚ますというのは、当然のことではないのかもしれませんね。

 私の年齢くらいになると、自分の親世代がいわゆる後期高齢者の年齢にさしかかってきます。お仏壇参りに伺った際などに、自分の親に年齢が近い方だと話しやすく、ついつい長話をしてしまいますが、ある時にこういうお話を伺いました。「この歳になると、夜寝るのが怖いわ。次の日の朝、目を覚ますかどうか、わからんからなあ…」

私は、夜寝る前に、次の日の予定などを考えながら寝ることが多いのですが、それは全て、次の日の朝目を覚ますことが前提なのですね。でも本当は、次の日の朝目を覚ますという、当たり前と思っていることが、当たり前ではない、有り難いことなのかもしれませんね。

 人生百歳まで生きても、36,500朝です。一つ一つの、ありがたい朝を大切に生きていきたいですね。

 

2021年10月の参道掲示板

 参道掲示板に十月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

十月のことば 「コツコツ つづければ 実を むすぶ」

 以前、私が参加した書道の講習会でこういう出来事がありました。受講生が先生に対して、「書道が上達するコツは何ですか」と聞いたところ、先生は一言、「コツコツがコツ」とお答えになりました。参加者一同、大笑いという出来事でしたが、この言葉、単なるギャグではなく、長年書道の修練を続けてきた先生がおっしゃっただけに、深いものを感じたのです。

 現代という時代は、スピード感が重視される時代だと思います。例えば、何かわからない言葉があった場合、さっとスマホを取り出して、詳しい言葉の説明は横に置いといて、おおよその意味がわかれば、スマホをポケットにさっとしまう。時間にして30秒以下でしょうか、これが現代のスピード感だと思います。別の見方をすれば、手間暇かかることというのは、敬遠される傾向があるように思います。スマホが現代社会にここまで浸透した理由は、このスピード感にあるのでしょう。

これは時代の流れなので、良い悪いではなく、ある程度は合わせていくしかないでしょうが、忘れてはいけないのは、手間暇=無駄ではないということです。

 何かを成し遂げようとした時(大層なことでなくても、例えばダイエットなど身近なことでも)、スマホのスピード感ではなかなかことは進みませんね。手間暇かかるのですよ。そんな時、「どうせ私は何をやっても…」なんて思う必要はないのです。結局のところ、「コツコツつづける」ことでしか、結果はでないのですから。

人間はスマホじゃない。人間は骨々(コツコツ)でできているんだ!

私も、ギャグを言ってみたくなりました。失礼しました。

2021年9月の参道掲示板

 

 参道掲示板に九月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。

九月のことば 「赤は赤 黄は黄のままに とりかえられぬ 尊さを 咲く」

 いきなりですが、今月は、少し仏教の話をしましょう。(お寺の掲示板なので、仏教の話は当然か…? たまには、願成寺の掲示板でも少しだけ硬めの仏教の話もします。)

 仏教の経典の中に、「仏説阿弥陀経」という経典があります。浄土宗系統では、根本経典といってとても大切にされている経典です。この経典では、阿弥陀仏の国、即ち極楽浄土のあり様が書かれています。当然、極楽は素晴らしい所だということが書かれているのですが、その一節にこのような記述があります。

「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」

 極楽浄土では、「青いものは青く光り、黄色いものは黄色く…なんて素晴らしい所だ」となるわけです。ここで、「ん?」となりませんか。だって、「青いものが青く光るって、当たり前じゃん」って思う方も多いでしょう。確かにその通りなんですが、青いものが青く光るって、本当に当たり前のことですか?

 極楽ではなく、現実世界で考えてみましょう。現実世界でも、赤い花は赤いですし、黄色い花は黄色いです。それは当たり前のことです。では、ここで、花を人間に置き換えて考えてみましょう。われわれ人間には、それぞれの色、即ち個性=キャラクター(キャラ)というものがあります。自分のキャラ通りの自分を生きていますか?こう聞かれると私は、「うーん」と考え込んでしまいます。

 はっきり言って、自分のキャラ通りの自分を生きるというのは、大変なことだと思います。どうしても、周りの目が気になりますし、周囲にどう思われているのかも気になってしまいます。その結果、自分の本当のキャラとは別に、「周囲が自分に求めているキャラ」を無理して演じている自分がいることに気が付くかもしれません。大人の社会でいうところの「世間体」というのも同じことですね。

 現実社会では、「周囲の目」も「世間体」も一切気にしないで生きるというのは、難しいことかもしれませんが、一つ忘れてはいけないことがあります。それは、本来自分が持っている色=個性=キャラというのは、他の色とは取り替えることができない程に尊いものだということです。

 世渡りをする上で、自分の色を周囲の色に合わせることもあるでしょうが、根本的な自分の色まで変えようと苦しむことはないのです。

今から約2500年前に起こった仏教の経典にも、「青色青光…」とあるように、青色は青く光るのが一番美しいのだと思います。野の花がそうであるように、自分の色で咲くことが尊いことなのだと思いますよ。