参道掲示板に九月の「ことば」を掲示しました。ご参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
九月のことば 「赤は赤 黄は黄のままに とりかえられぬ 尊さを 咲く」
いきなりですが、今月は、少し仏教の話をしましょう。(お寺の掲示板なので、仏教の話は当然か…? たまには、願成寺の掲示板でも少しだけ硬めの仏教の話もします。)
仏教の経典の中に、「仏説阿弥陀経」という経典があります。浄土宗系統では、根本経典といってとても大切にされている経典です。この経典では、阿弥陀仏の国、即ち極楽浄土のあり様が書かれています。当然、極楽は素晴らしい所だということが書かれているのですが、その一節にこのような記述があります。
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
極楽浄土では、「青いものは青く光り、黄色いものは黄色く…なんて素晴らしい所だ」となるわけです。ここで、「ん?」となりませんか。だって、「青いものが青く光るって、当たり前じゃん」って思う方も多いでしょう。確かにその通りなんですが、青いものが青く光るって、本当に当たり前のことですか?
極楽ではなく、現実世界で考えてみましょう。現実世界でも、赤い花は赤いですし、黄色い花は黄色いです。それは当たり前のことです。では、ここで、花を人間に置き換えて考えてみましょう。われわれ人間には、それぞれの色、即ち個性=キャラクター(キャラ)というものがあります。自分のキャラ通りの自分を生きていますか?こう聞かれると私は、「うーん」と考え込んでしまいます。
はっきり言って、自分のキャラ通りの自分を生きるというのは、大変なことだと思います。どうしても、周りの目が気になりますし、周囲にどう思われているのかも気になってしまいます。その結果、自分の本当のキャラとは別に、「周囲が自分に求めているキャラ」を無理して演じている自分がいることに気が付くかもしれません。大人の社会でいうところの「世間体」というのも同じことですね。
現実社会では、「周囲の目」も「世間体」も一切気にしないで生きるというのは、難しいことかもしれませんが、一つ忘れてはいけないことがあります。それは、本来自分が持っている色=個性=キャラというのは、他の色とは取り替えることができない程に尊いものだということです。
世渡りをする上で、自分の色を周囲の色に合わせることもあるでしょうが、根本的な自分の色まで変えようと苦しむことはないのです。
今から約2500年前に起こった仏教の経典にも、「青色青光…」とあるように、青色は青く光るのが一番美しいのだと思います。野の花がそうであるように、自分の色で咲くことが尊いことなのだと思いますよ。