参道掲示板に八月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
八月のことば 「自分の物差しの 限界を知る」
八月になりました。お盆の月ですね。普段はあまり仏教と接点のない生活を送っている方でも、お盆の月は帰省先でお墓参りや仏壇に手を合わせたり等々で仏教と関わる方も多いと思います。ところで、自分の実家の仏壇や、檀家のお寺のご本尊、何という仏様か答えられますか?
宗派によって様々ですが、願成寺の場合は浄土宗ですのでご本尊は「阿弥陀仏」となります。以前、学生さんから阿弥陀仏って何?どういう意味?と問われたことがあります。阿弥陀仏とは古代インドのサンスクリット語(梵語)のアミターバという言葉が発祥で、意味は「量(はか)り知れない光・寿命をもつ存在」といわれ、別名「無量光仏」「無量寿仏」とも言われます。要は、我々人間では量ることができない大いなる存在なのです。世の中には、人間の物差しでは測れないスケールの大きなものが多々あります(自然現象など)が、仏教に関わらず宗教というものもまた、人知を超えた尺度で成り立っている存在なのです。
我々は何か起きた時、まずは自分の知識・常識で物事を判断しようとします。それは間違ってはないのですが、自分の知識・常識・経験で他のものすべてを推し量ろうとすることは少し高慢なのかなとも思います。ましてや、自分の知識・常識・経験などを他に押し付けるのは・・・。
私のような中年になると、生まれた時からスマホが存在した最近の若者の価値観・思考を理解できない時があります。でもそれは、若者の価値観・思考が良い/悪い以前に、私の物差しで測れないだけなのかなとも思います。
自分の物差しで測れないものを否定するのではなく、自分の物差しでは測れない新たな価値観もある、そう考えると世代間のギャップも少しは埋まると思います。我々の物差しは無量ではなく、限界があります。限界があるということを知って、日々の生活に役立てていきたいですね。