盆期間中(8/11~8/15)に限り、臨時駐車場を2か所借りましたので、ご参拝の際はご利用ください。
・臨時駐車場1(目良組駐車場、一番奥) 住所:田辺市古尾7 *手前は月極駐車場ですので、一番奥の「願成寺臨時」とプレートのある区画に駐車お願いします。
・臨時駐車場2(丸惣商店従業員駐車場) 住所:田辺市古尾10
盆期間中は駐車場が大変混雑しますので、臨時駐車場の利用をご検討お願いします。
盆期間中(8/11~8/15)に限り、臨時駐車場を2か所借りましたので、ご参拝の際はご利用ください。
・臨時駐車場1(目良組駐車場、一番奥) 住所:田辺市古尾7 *手前は月極駐車場ですので、一番奥の「願成寺臨時」とプレートのある区画に駐車お願いします。
・臨時駐車場2(丸惣商店従業員駐車場) 住所:田辺市古尾10
盆期間中は駐車場が大変混雑しますので、臨時駐車場の利用をご検討お願いします。
参道掲示板に八月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺␣ロコ」「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
八月のことば 「諸行無常 ずっとはないよ だから 今を大切に」
今年も夏本番ですね。当地域も多くの観光客の方々でにぎわっております。特に今年は、外国からの観光客をよく見かけますね。当地域の場合、この外国からの観光客のお目当ては「熊野古道」のようです。どうやら、外国の方々にとって熊野古道というのは「日本的な美」が凝縮された場所のようです。
ところで、「日本的な美」とは何なのでしょうね?よく言われるのは「わび・さび」ですが、説明しろと言われると困りますね。私は、この「わび・さび」の根底にあるのは、ある種の無常観(ずっとは続かないという考え方)だと思っております。つまり、人生の儚さを感じるような自然こそが美しいというのが、「日本的な美」の正体なのではないでしょうか。
一年中咲く桜、一日中燃える線香花火、もしこんなものがあったら美しいでしょうか?う~ん、微妙ですね…。無常だからこそ、儚いからこそ美しいと思うのは自然なことかもしれませんね。
仏教でいう諸行無常は、虚しさを説いているのではなく、今この瞬間の美しさを説いていると考えることができるかもしれません。無常さを受け入れた上で、今この瞬間を大切に生きていく。これこそが、諸行無常の生き方ですね。
参道掲示板に七月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺␣ロコ」「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
七月のことば 「泥があるから 蓮は咲く」
突然ですが、今日は最近の若者言葉を一つ紹介したいと思います。最近の若者はよく「黒歴史」という言葉を使います。インターネットの書き込みなどで普及した言葉と思われますが、意味は、「自分の人生の中で起こった、恥ずかしくて人には言いたくない、もしくは無かったことにしてしまいたい期間・出来事」だそうです。
誰にでも、そういう恥ずかしい過去はありますよね。でもね、そういう過去を「黒歴史」として話せるということは、いいことだと思いますよ。だって、自分のなかで「歴史」になったということは、その状態から現在は抜け出せたということですよね。
「黒歴史」だろうが何だろうが、現在の自分の糧になっているのならばそれでよし!
まあ、これは後になってから言えることであって、「黒歴史」真っ最中の人にはなかなかピンとこないですが…。私も若い時、特に新人サラリーマン時代は色々ありました。泥臭い仕事に、ドロドロした人間関係に・・・、でもそういう時期が確実に自分の糧になったと今は思ってます。
どんな黒歴史であっても、「あの経験があったからこそ」と後になって言えるように、泥を自分の糧に成長していきたいものですね。
参道掲示板に六月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺␣ロコ」「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
六月のことば 「心は いつも 晴れやかに」
雨の日が多くなりましたね。雨の日は、空模様だけではなく心も妙に沈みがちになるものですね。たまには、スカッと晴れてほしいと思ってしまいますね。
そんな嫌われ者の雨ですが、当地方にとっては「恵みの雨」でもあるのです。当地方(紀南)の名産品「梅」ですが、降雨量と梅の生育には深い関係があり、この時期の雨は必要不可欠なのです。梅に限らず、農家の方々にとってこの時期のまとまった雨は不可欠の存在ですね。では、観光業やイベント業にとって雨は・・・。う~ん、難しい問題ですね。
雨という一つの事象をとっても、自分の仕事や立場によって「嫌なもの」にも「良いもの」にもなるわけですね。このことは、雨に限らず世の中の全ての事象に言えることです。
ただ、自分の仕事とか立場とか、そういうものとは関係なく、自分の心はいつも晴れやかにありたいものですね。
参道掲示板に五月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺␣ロコ」「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
五月のことば 「逆風と 向き合えば 高くあがる」
久しぶりの、「コロナ規制なし」のゴールデンウィークですね。旅行、帰省、レジャー等、リフレッシュして英気を養いたいですね。
特に、新年度から環境が変わった方にとっては久しぶりに緊張から解放される休暇ですね。この連休でリフレッシュし、連休明けからは、新たなことに挑戦して頂きたいものです。
何事もそうですが、始めのうちは勝手がわからず、また周囲に馴染めず、なかなか前に進めないものですね。まさに逆風真っ只中という感じですね。私も、新人サラリーマン時代はそうでした。
そんな時は、焦らずじっくりと色々なものと向き合うことが大事だと思います。新たな環境と向き合うこと、周囲の人と向き合うこと、そして何よりも自分自身と向き合うことが大事でしょうね。
自分は何が苦手で、何に悩んでいるのかをまずは自分自身が知ることですね。知ったところで解決できないかもしれませんが、自分の頭の中で自分という人間を整理して理解することで気持ちは幾分楽になると思います。ソクラテスじゃないですけど「汝自身を知れ」ということですかね。
自分の弱さを含めて、自分自身と向き合うことで更なる高みへ上がっていきたいものですね。
参道掲示板に四月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺␣ロコ」「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
四月のことば 「どの道を選ぶか よりも 選んだ道を どう生きるか」
今日から新年度がスタート!という人が多いのではないでしょうか。自分の思い描く道を進めた人も、残念ながらそうならなかった人も、スタートは同時ですね。あとは、その道をどう歩むか・・・。
以前より折に触れてお話しさせて頂いておりますが、今から十数年前、私はサラリーマンを辞めてお寺の世界に入りました。住職の道を選んだのです。サラリーマンとは全く違う世界で、しばらくの間はよくサラリーマンの生活と比較して、どっちが良い・悪いと考えたものです。
でもね、最近よく思うのです。どっちの道を選んでも結局は一緒なのですよ。
愚痴を言い、ないものねだりをしながら進む道は、どんな道でもつまらないのですよ。逆に、どんな環境にあろうと今の自分にできることを見つけて、一歩一歩進む道というのは、大変かもしれませんがそれなりに充実していると思いますよ。
人それぞれ、その道を歩むに至った経緯は違うと思います。でもね、経緯はどうあれ、歩むからにはその道で、自分なりに花を咲かせていきたいですね。
先日は、納骨供養祭に多くの方々の参拝を賜り誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。また、当日は駐車場が大変混雑し、ご迷惑をおかけしましたこと、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
納骨堂が新しくなって最初の納骨供養祭でしたが、多くの方々よりご好評を頂きました。新規のご納骨をお考え中の方は、是非ともご検討ください。(詳細につきましては、無料資料請求をご利用ください)
納骨堂の大改修が完了しました。
昨年末より約三ヶ月にわたり大改修を実施しておりました納骨堂ですが、本日より開堂いたします。 皆様により快適に参拝頂けますよう、バリアフリーのフラットフロア&椅子としました。靴のまま中にお入り頂けます。
是非、ご参拝ください。
参道掲示板に三月の「ことば」を掲示しました。参拝の折にご覧ください。画像は、yahooとgoogleで公開しております。それぞれ、「田辺市␣願成寺␣ロコ」「田辺市␣願成寺」と検索して頂くと、トップに表示されますので、是非ご覧ください。
三月のことば 「花は 散ることを知りながら 咲くことを恐れない」
いきなりですが、仏教の教えを一言でいうなら何でしょうか?人それぞれ意見はあるでしょうが、一応仏教の基本思想は「諸行無常」といわれております。もっとわかりやすく言うと「今の状態・状況は永遠には続かないよ。例外はないよ。」ということです。例外はない…、そう、人の命についても「諸行無常」のルールは適応されます。
身もふたもない言い方ですが、仏教的に人の命を表現すると、「人は生まれた瞬間から死に向かって歩み始める」となります。
だからといって、「どうせ死ぬのだから…」「何をしたって死ぬのだから…」という考え方が仏教的な生き方かというと違います。むしろ逆なのです。
仏教では、「諸行無常」のルールを受け入れたうえで、「何事もずっとは続かないのだから、せめて今この瞬間を、目の前のなすべきことを」大切にしようと考えるのです。「どうせ○○だから」なんて言っていては、何も始まらないですね。散るとわかっていても、臆することなく誇らしく咲く野の花々のような生き方が「諸行無常」の生き方なのかもしれませんね。